命をいただくということ
昨日は美味しい卵を生産されているさとうのんびり農園さんへ、親鶏の解体に行きました。
卵をあまり産まなくなった親鶏をお肉にします。
鹿の解体や猪の解体は何度か見ていたのですが、それも仕留められた後(血抜きもされた後)のもの。
生きている生き物を…というのは初めての経験。
やはり、絞めるところは見ているだけで、どうしても出来ませんでした。
絞められる鶏を見て、小屋で騒ぐ別の鶏たち。
静かに目を閉じていく鶏。
一言では表現出来ない感情が色々と湧き出ます。
血抜きをされた鶏を熱湯に浸けてから、羽を毟ります。さっきまで生きていた鶏。
しかし、魂の抜けた鶏になると、羽を毟るのは困難ではありませんでした。
そして、部位に分けて捌かれていきます。
絞める時に、かわいそう!と言っていた小学生の女の子もここまで来ると、美味しそう。に変わる。
親鶏なので肉は少し硬め。料理人のKさんに、コンフィの作り方を教えてもらい、本日コンフィになりました。
ガラは鶏がらスープへ。
昨日の目を閉じていく鶏さんを思いながら、大事に頂きます。
昨日は近所で猪も捕れた、ということで、その解体も見に行きました。こちらはもう血抜きをされた後。が、絞める時にすごく暴れたようで、槍で突かれた後も…。
お肉をいただく、ということをとても考える1日でした。
私はベジタリアンではないので、普段からお肉を食べますが、どういうお肉を頂くか…とても考えました。
命を無駄にしない。
スーパーには食べきれないほどの肉が並びます。本当にそんなに必要なのだろうか?
どうやって育てられたんだろうか?食べるために育てることって必要なのだろうか…。
親鶏のお肉は硬い。柔らかいお肉は美味しいけれど、本当に必要なのだろうか。
考えても答えはなかなか出ませんが、こういうことはいろんな人が経験して、一人一人考えること、が必要なのではないかなと思いました。